東京高等裁判所 平成2年(ネ)2096号 判決 1991年2月26日
控訴人 有限会社東横建物 ほか二名
被控訴人 国
代理人 渡辺光弥 赤穂雅之 ほか三名
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 控訴人らと被控訴人の間で、次の権利関係を確認する。
(一) 控訴人有限会社東横建物が原判決別紙物件目録記載第一(一)(以下「本件Cの土地」という。)の土地につき、所有権を有すること
(二) 控訴人木村謙一が同目録記載第一(二)の土地(以下「本件Bの土地」という。)につき、所有権を有すること
(三) 控訴人金光正治が同目録記載第一(三)の土地(以下「本件Aの土地」という。)につき、所有権を有すること
3 訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 増田松太郎(以下「松太郎」という。)は、昭和三八年一二月二七日、本件AないしCの土地(以下AないしCの土地を合わせて「本件係争地」ともいう。)の占有を始めた。
(二) 松太郎は、右占有を始めるに際し、本件係争地が自己の所有に属すると信じたことにつき、過失がなかった。すなわち、
松太郎は、(1)昭和三八年一二月二七日原判決別紙物件目録記載第二(一)の土地(以下「本件一の土地」という。)を、(2)昭和三二年二月一六日同目録記載第二(二)の土地(以下「本件二の土地」という。)の持分六分の二を、同三八年一二月二七日その持分三分の二を、いずれも相続により取得し、また、(3)昭和二四年一〇月一七日以前に同目録記載第二(三)の土地(以下「本件三の土地」という。)を鈴木正光から買い受けていたものであるが、昭和三八年一二月二七日右各土地の占有を開始するに当たり、本件Aの土地が本件三の土地に、本件Bの土地が本件二の土地に、本件Cの土地が本件一の土地に、それぞれ含まれているものと考えていたものである。
2 松太郎は、昭和四八年一二月二七日当時、本件係争地を占有していた。
したがって、松太郎は、右同日本件係争地の所有権を時効により取得した。
3(一) 松太郎は、昭和五三年七月二二日死亡した。
(二)(1) 本件一及びCの土地は増田イク子及び増田稔が相続により取得し、控訴人有限会社東横建物(以下「控訴会社」という。)は、昭和六〇年九月二六日右両名からこれを買い受けた。
(2) 本件二の土地及びBの土地は右増田イク子が相続により取得し、控訴人木村謙一(以下「控訴人木村」という。)は、昭和五八年一一月二一日同人からこれを買い受けた。
(3) 本件三の土地及びAの土地も右増田イク子が相続により取得し、控訴人金光正治(以下「控訴人金光」という。)は、昭和五八年一一月二一日同人からこれを買い受けた。
4 控訴人らは、前記松太郎による取得時効を援用する。
5 本件AないしCの土地には、被控訴人名義の所有権移転登記がされている。
よって、控訴人らは被控訴人との間で、控訴人らが本件AないしCの土地につき所有権を有することの確認を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実について
(一) (一)は知らない。
(二) (二)のうち、松太郎が本件一、二の土地を相続により取得したことは認めるが、同人が本件AないしCの土地の占有を開始した当初過失がなかったことは否認する。その余は知らない。
2 同2の事実は知らない。
3 同3の事実について
(一) (一)は認める。
(二) (二)のうち、増田イク子が本件一ないし三の土地を、増田稔が本件一の土地を相続により取得したことは認めるが、同人らが本件AないしCの土地を相続により取得したこと及び控訴人らが右両名から右各土地を買い受けたことは否認する。控訴人らは、本件AないしCの土地の付近において行われた境界確定協議を知っており、その境界を認めていたのであるから、右各土地を買い受けたとは考え難い。その余は知らない。
5 同5の事実は認める。
三 抗弁
1 本件係争地は、いずれも国有財産法の規定する行政財産であり、現に公の目的に供されている公共用財産(神奈川県道路敷地)であるから、時効取得の対象とはならない。
すなわち、神奈川県道・横須賀三崎線(以下「本件道路」という。)については、大正九年四月一日「横須賀市深田町」を起点とし「三浦市三崎」を終点とする道路認定がなされたものであって、本件AないしCの土地は、本件道路を維持管理するために必要な道路の法面を構成しているものである。もっとも、最近に至り、その現況は、一部が駐車場として利用されているようであるが、これは被控訴人の右使用に関する許可等を得ることなく無断で占有使用を開始したものであり、その占有使用を正当化する事由は全くなく、右占有使用によって道路の構成部分でなくなったわけではない。
2 松太郎は、本件係争地が国有地であることを認識していたから、これを所有する意思がなかった。
3 控訴人らは、昭和五八年一〇月三一日、本件AないしCの土地と本件一ないし三の土地とのいわゆる官民境界確定協議のために立ち会い、その境界を認めることによって、時効の利益を放棄した。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は否認する。
公共用物(公共用財産)が成立するためには、その物が一般公衆の利用に供することのできる形体的要素と、一般公衆の使用に供する旨の行政主体の意思的行為が必要であるが、本件係争地はそのいずれの要件をも欠いている。すなわち、右土地は、道路敷地以外の土地であって、一度も道路敷地として使用されたこともなく、道路敷地でないことが神奈川県所有の鉄網塀によって物理的に明らかにされていたものであるから、前記の形体的要素を有していない。また、右土地は、神奈川県が道路管理者として道路区域として決定した範囲外の土地であり、公用開始行為が存しない。
2 同2、3の事実は、否認する。
五 再抗弁
本件係争地については、公用開始の当初から一度も道路としての形態を具備したことがなく、最高裁判決(最判昭和五一年一二月二四日・民集三〇巻一一号一一〇四頁)の挙げる四要件に該当する客観的状況を具備していたのであるから、黙示の公用廃止があったものというべきである。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁は否認し、争う。
第三証拠関係 <略>
理由
一1 松太郎が本件一、二の土地を、それぞれ昭和三七年一二月二七日までに相続により取得したことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、松太郎が遅くとも昭和二八年九月ころまでには本件三の土地を取得していたことが認められる。
また、右事実及び<証拠略>によれば、松太郎は、右三の土地を山崎喜代治に貸与し、同人は昭和二八年一〇月一三日建築確認を受け、遅くとも昭和三六年五月二五日までには右三の土地と本件係争地中の本件Aの土地とにまたがって木造亜鉛メッキ綱板葺の居宅を建築し、それ以来昭和五九年四月二〇日に有限会社衣笠城址ゴルフ練習場に売却するまでの間、これを使用してきたこと、本件一、二の土地とその余の本件係争地(本件B、Cの土地部分)とは、松太郎が一時畑として耕作していたがその後耕作をやめ、遅くとも昭和五八年一〇月までにはその一部に盛土がされ駐車場として使用されるようになったことが認められ、以上の事実によれば、松太郎は、昭和三八年一二月二七日ころまでには本件係争地の占有を取得したものと推認するのが相当である。
また、<証拠略>によれば、松太郎が昭和四八年一二月二七日当時本件係争地を占有していたことを認めることができる。
2 しかし、控訴人ら主張のように、松太郎が本件係争地の占有を取得した際それが本件一ないし三の土地に含まれると考えていたというだけでは、単に本件係争地について自分に所有権があると信じたというにすぎないから、それだけで右のように信じたことについて過失がなかったということはできず、他に松太郎に過失がなかったと評価することができる事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
かえって、<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 松太郎は、増田與四郎(大正二年八月一日死亡)の長女フサ、婿養子次助(明治三年一一月二〇日生、昭和二二年一二月二三日死亡)夫婦の養子サキ、婿養子常吉(明治二五年九月一日生、昭和三二年二月一六日死亡)の三男(昭和二年九月三日生)で、いずれも本件係争地のごく近くにある衣笠町一三四番地に居住していたものであり、松太郎は、食料事務所に勤める傍ら代々の家業である農業を営んでいた。
(二) 本件係争地近辺の本件道路は、明治四三年から三か年を経て完成された新道であるが、そのためにかなりの畑等が提供された。たとえば、国(内務省)は、明治四四年六月一日、與四郎から本件Cの土地を含む横須賀市衣笠町字一八四番三、本件Bの土地を含む一八六番三及び本件Aの土地を含む一九二番二の各土地を、昭和一七年一月一〇日、次助から本件Cの土地を含む一八四番四の土地を、神奈川県庁は、明治二九年六月三〇日、與四郎から一八四番二、一八六番二の各土地を買い上げた。
右各土地は、いずれもその買上げ直後に土地台帳に「官有道路成、除租」「官地成道路」等と記載された(もっとも、登記簿の地目が公衆用道路と表示されたのは、本件係争地については昭和五二年七月の表題部改製の際である。)。
(三) 本件道路については、大正九年四月一日、起点を横須賀市深田町、終点を三浦市三崎として路線認定され、昭和三〇年三月四日神奈川県告示第一三八号をもって路線変更が行なわれ、ついで、同年八月二日神奈川県告示第五七一号をもって道路区域が決定されて、その関係図面が神奈川県土木部道路課で一般の従覧に供されたが、神奈川県の道路台帳には本件係争地が道路区域であることが明瞭に表示されている。
以上認定の事実によれば、松太郎において、次助にその所有地の範囲を確認していれば與四郎らが道路用地として本件係争地を売却した事実を知ることができ、さらに道路台帳等を調査すれば容易にその範囲、自己所有地との境界を知ることができたにもかかわらず、それらの調査もせずに安易に自分の所有であると信じたことには過失があったといわざるを得ない。
二 さらには、本件係争地は公共用財産であり、以下のとおり黙示の公用廃止があったと認められる状況にあったとは認められないから、そもそも取得時効の対象にならないというべきである。
前記一2に認定したとおり、本件土地については、遅くとも大正九年四月一日には、供用の開始決定がされたというべきである。
ところで、前記認定のとおり、本件係争地の一部(本件Aの土地部分)については、その土地上に建築する建物に関し昭和二八年一〇月一三日建築確認がなされているので、翌二九年ごろには、右土地部分に限ってみれば道路敷地ではない外観を呈するにいたったことが推認されないではない。しかし、いわゆる黙示的な公用廃止の状況は、自主占有開始の時までに生じていたのでなければ、時効取得は成立しないものと解すべきであり、しかも、右黙示の公用廃止認定の要件の一つである公共用財産としての形態、機能の喪失が認められるためには、当該部分のみに着目するのではなく、公共用財産を供用された目的に、即し地域的広がりをもった全体として観察し、原状回復が可能か否かを判断して決すべきものである。
本件についてこれをみると、<証拠略>により認められる、本件係争地が前記認定のとおり買収直後に、それぞれの土地台帳に官有道路成、除租と記載されている事実、<証拠略>によって認められる本件道路の路面と本件一ないし三の土地との間には約二メートル程度の高低差がある事実並びに<証拠略>を総合すれば、本件係争地は、明治四四年ないし昭和一七年には、本件道路の路面から本件一ないし三の土地までの間の道路の構成部分としての法面又は本件道路の維持保全に必要な道路敷地として現実に使用されたものと推認することができる。そして、前記一1認定のように松太郎が本件B、Cの土地を本件一、二の土地とともに一時畑として耕作していたことに照らすと、松太郎が本件係争地の占有を開始した当時、本件係争地の本件B、Cの土地部分は路面から耕作可能な程度の緩傾斜で本件一、二の土地に直接連なる形状の法面を形成していたものと推認され(なお、右耕作の事実は法面の表面上のことにすぎないから、右事実があったからといって右各土地部分について本件道路の法面としての形態と機能を喪失するにいたったものと認めることはできない。)、本件B、Cの土地の右のような状況に照らすと、本件Aの土地の部分も、前記のようにその一部が本件三の土地とともに建物の敷地とされ、その敷地の端の部分から路面までが急傾斜の法面となっていたとしても、本件B、Cの土地に連なる部分としてこれを全体的にみれば、本来は、本件道路の法面又は本件道路の維持保全に必要な道路敷地であると認識することができ、建物を移動するなどして原状回復することが不可能ではない状況にあったものと認めるのが相当であり、結局、松太郎が本件係争地の占有を開始した昭和三八年一二月二七日当時、本件係争地が道路敷地としての形態、機能を回復することが困難なほどに喪失していたものということはできず、他にこれを認めることのできる的確な証拠はない。また、<証拠略>によれば、昭和六二年当時において、本件係争地が占有され道路敷地(法面)として使用できないため、本件係争地部分の本件道路の歩道部分がその前後に比べかなり狭くなっていることが認められ、右事実によれば、本件道路の効用を完全に果たすためには、なお、本件係争地の必要性は失われていないものと認められる。
したがって、本件係争地は松太郎の占有開始当時未だ公共用財産としての形態、機能を全く喪失したものとはいえず、また本件係争地について公共用財産として維持すべき必要性がなくなったともいい得ないから、本件係争地につき黙示の公用廃止があったと認めることはできない。
三 以上の次第で、その余の点につき判断を進めるまでもなくいずれにしても控訴人らの本訴請求は認めることができないといわざるを得ない。
よって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 越山安久 赤塚信雄 桐ヶ谷敬三)
【参考】 第一審(東京地裁昭和六二年(ワ)第八〇九六号 平成二年五月二八日判決)
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
一 原告らの請求
次の権利関係の確認を求める。
1 原告有限会社東横建物と被告国との間で原告有限会社東横建物が別紙物件目録第一(一)の土地を所有すること
2 原告木村謙一と被告国との間で原告木村謙一が別紙物件目録第一(二)の土地を所有すること
3 原告金光正治と被告国との間で原告金光正治が別紙物件目録第一(三)の土地を所有すること
二 事案の概要
1 増田松太郎は、次の土地をそれぞれ次の事由で取得した。(<証拠略>により認める)
横須賀市衣笠町字鉄子一八四番五 畑一三平方メートル(昭和三二年二月一六日相続) 横須賀市衣笠町字鉄子一八六番四 宅地一一二・三九平方メートル(昭和三二年二月一六日持分三分の一、昭和三八年一二月二七日持分三分の二相続)
横須賀市衣笠町字鉄子一九二番一 宅地一六八・五九平方メートル(昭和二四年一〇月一七日以前に売買により鈴木正光より取得)
2 原告らは、増田松太郎は、右の土地を昭和三八年一二月二七日から占有を始めたと主張する。
被告は、増田松太郎の占有の事実は知らないという。
3 原告らは、増田松太郎は、右の占有開始に当たり、次の通りそれぞれの土地に隣接する被告所有の各土地(本件土地)についても占有を始めたと主張する。
松太郎所有地 隣接する被告所有地
鉄子一八四番五 鉄子一八四番三及び鉄子一八四番四のうち別紙物件目録第一(一)の土地六・一〇平方メートル(別紙図面Cの土地。以下Cの土地という。)
鉄子一八六番四 鉄子一八六番三のうち別紙物件目録第一(二)の土地一一五・九八平方メートル(別紙図面Bの土地。以下Bの土地という。)
鉄子一九二番一 鉄子一九二番二のうち別紙物件目録第一(三)の土地一三五・四八平方メートル(別紙図面Aの土地。以下Aの土地という。)
被告は、右の占有の事実は知らないという。
4 原告らは、増田松太郎は、本件土地が被告の所有であることを知らないことに過失がなかったと主張し、したがって、占有開始後一〇年を経た昭和四八年一二月二七日本件土地について取得時効が完成していると主張する。
被告らは、過失がなかったとの主張を争っている。
5 被告らは、増田松太郎には、所有の意思がなかったと主張し、次のようにいう。
増田松太郎の相続人である増田イク子及び増田稔は、他の関係者とともに、昭和五八年一〇月国有の道路敷と民有地との境界確定の協議に立会い、本件土地を国有と認める協議をした。その結果は、境界確定図(<証拠略>)として保存されている。これは、増田イク子及び増田稔が本件土地について真に自己の所有であると考えているならば、とるはずのない態度行動に出たものである。本件土地の周辺の土地所有者は、増田松太郎、増田イク子、増田稔を含めて、代々地元の人であり、国有の道路敷と民有地の境がどのようになっているかは、十分に知っていたものであり、むしろ、そのような認識にしたがって、上記のような境界確定をしたものと考えられる。したがって、増田イク子らの先代に当たる増田松太郎が本件土地が国有であることを知らなかったとは考えられないし、また、増田イク子らが所有の意思のないことを示す行動態度の出ている以上、その先代に当たる増田松太郎も所有の意思を持って占有していたとは考えられない。したがって、そもそも取得時効は成立しないものである。
原告らは、右の境界確定協議の事実を否定し、増田松太郎に所有の意思がなかったという被告の主張を争っている。
6 被告は、また、本件土地は、道路を支える法面を構成する行政財産である。本件土地の一部は、何者かがこの法面を削り、平担にして不法に占有しているのであるが、そのような状態が生じているからといって、道路を支える法面として復旧する必要がなくなるとか、行政財産としての利用の必要がなくなるのでない以上、公物としての性質は失われない。本件土地が不法に占有されているため、舗道の整備、拡幅、安全施設の設置などができない状態であったのであって、行政財産としての効用がなくなっていたなどということはないのである。したがって、本件土地は、時効取得の対象にならない、と主張する。
原告らは、行政財産であるとの事実を否認している。
7 昭和五三年七月二二日増田松太郎が死亡した。(争いがない)
8 原告らは、増田松太郎の相続人である増田イク子及び増田稔は、Cの土地を、増田イク子は、B及びAの土地を相続したと主張し、原告らが次の通り右の土地を買い受けたことによって、原告らがその所有権を取得したと主張している。
原告東横建物 Cの土地を昭和六〇年九月二六日増田イク子及び増田稔から買い受け
原告木村謙一 Bの土地を昭和五八年一一月二一日増田イク子から買い受け
原告金光正治 Aの土地を昭和五八年一一月二一日増田イク子から買い受け
二 争点についての判断
1 (所有の意思について)
時期は明確にし得ないが増田松太郎が本件土地を占有していたものと認められる。そこで、増田松太郎が所有の意思を有していなかったと認められる事情があるかどうかについて判断する。
証拠によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 増田イク子の夫で、増田稔の父である増田松太郎の先代は、増田常吉であり、常吉の先代は増田次助であり、次助の先代は増田與四郎である。
証拠 <略>
(二) 本件土地を含む次の各土地は、次の通り増田松太郎の先代が、被告国の担当官庁に売り渡した土地である。
鉄子一八四番三の土地 明治四四年 増田與四郎が内務省に売り渡し
鉄子一八四番四の土地 昭和一七年 増田次助が内務省に売り渡し
鉄子一八六番三の土地 明治四四年 増田與四郎が内務省に売り渡し
鉄子一九二番二の土地 明治四四年 増田與四郎が内務省に売り渡し
証拠 <略>
(三) 増田松太郎及びその先代である増田與四郎、増田次助、増田常吉は、代々本件土地のごく近くにある衣笠町一三四番地に居住しており、増田松太郎は、食料事務所に勤める傍ら代々の家業である農業をしていた。
証拠 <略>
(四) 本件土地を含む県道横須賀三崎線については、昭和三〇年八月道路区域の決定の告示がなされ、その関係図面が神奈川県土木部道路課で縦覧に供された。そして、神奈川県の所持する道路台帳では、本件土地は、道路の区域であると表示されている。
証拠 <略>
(五) 国が道路用地を買収する場合は、道路を支える法面を買収せず、法面の上端までの部分のみを買収することはきわめて少なく、法面の土地を買収するのはもちろん、法面の下端よりさらに五〇センチないし一メートル幅の余裕をもって買収するのが通常であり、それは法面の崩壊を防ぐなどにより、道路の維持管理を万全ならしめることを目的としたものである。
証拠 <略>
(六) 別紙図面の(A)の場所にある張替所有家屋は、昭和三六年五月二五日新築と登記されているが、その敷地と道路の路面との間の高低差は、約二メートルほどある。このような高低差があるにもかかわらず、右の張替所有家屋の敷地部分は、道路の法面に食い込むような状態で、路面と近接した位置にあり、そのため右の敷地から道路面に上がる法面の勾配は、急勾配となっていて、その勾配の程度は、路面の崩壊を防ぐため勾配の程度を抑えてつくられている通常の法面の勾配よりかなり強くなっている。
証拠 <略>
(七) 道路台帳と現地などを照合して民地と道路敷との境界と認められる線に沿って、昭和四八年頃から木製の境界杭が埋設されていたが、その杭は、本件土地と増田松太郎所有地である鉄子一八四番五、鉄子一八六番四、鉄子一九二番一との境界線上にあった。
証拠 <略>
(八) 本橋欣三が境界確定協議の準備をするため調査をした際、別紙図面の(A)の場所にある張替所有家屋の住人である女性は、道路台帳と現地との照合の結果民地と道路敷との境界と認められる線付近に存在していた六センチ角のコンクリート製の境界石について、これを民地と道路との境界であると説明していた。
証拠 <略>
(九) 道路敷と民地の境界を確定する為の関係者の立ち会いに増田イク子または増田稔が出席したが、本件係争地を道路敷とする道路公団側の説明に対して、他の者の中には、自己の関係する境界について異議を述べた者があったにもかかわらず、右の両名は、なんら異議を述べなかった。そして、右の説明通りに境界を表示し、地上の建物の敷地を横切って境界線が記載されている境界確定図面に増田らは承認の印鑑を押捺した。
証拠 <略>
以上認定したところにより、次の事項を指摘することができる。
ア 本件土地は、増田松太郎の先先代あるいはその先代の時代に国に道路敷として売り渡した土地の一部であり、またそのうちの一部の土地は、昭和一七年というかなり近い時期に売り渡した土地であるから、増田松太郎が売買により近くの土地の一部を取得した時期(原告らの主張によれば、昭和二四年以前であるという。)や増田松太郎の相続の時期(昭和三二年)に、そのような国への売り渡しの事実が忘れ去られるとは考え難い。
イ 増田松太郎の居住していた場所は、本件土地に極めて近い土地であり、また、農業をしていて自己の所有土地の状況に詳しかったと考えられるので、道路敷に売り渡した土地の位置を誤って認識するとは考え難い。
ウ (六)に認定した本件土地の状況は、本件土地が道路敷を支える法面の中にあることを客観的に示すものであり、そのような状況にあるにもかかわらず、本件土地を自己の所有地であると信じるとしたならば、それにはそのように信じるのが相当であるような事情がなければならないが、そのような事情は見いだすことができない。そうであれば、増田松太郎が本件土地を自己の所有地と信じていたとは考え難い。
エ (七)に認定したように本件土地が道路敷の中にあることを示す境界杭が設定されたのに、増田松太郎がこの境界杭の設定に異議を述べた等の事実は認められない。そうであれば、増田松太郎は、本件土地の所有者であれば、当然とっていたであろう態度を示していないのであり、同人には所有の意思がなかったものと認めざるを得ない。
オ また、増田松太郎の家族である増田イク子や増田稔は、本件土地を道路敷と認めており、また土地上の家屋の住人もそのような態度行動をとっている。仮に増田松太郎が本件土地を自己の所有地であるとする態度行動に出ていたとすれば、このように近親者等が国の所有を認めるという事態が起こるとは考え難い。したがって、増田松太郎自身も、本件土地が国の所有であることを否定し、自らが所有者であるという積極的な態度行動に出たことはなかったものと判断される。取得時効の要件である所有の意思のある占有とは、単に内心において所有の意思を持っているというのでは足りず、積極的に他人の権限を排除してする占有をいうのであるから、増田松太郎には、所有の意思はなかったものといわざるをえない。
2 (本件土地の公物性について)
以上判断したところによれば、増田松太郎には所有の意思はなかったものと認められるから、原告らの取得時効の主張は、その他の点について判断するまでもなく、失当である。
なお、本件土地は、国の所有する公物である道路敷の一部を構成し、また、右1の(五)及び(六)に認定したように、客観的にも道路の維持保全のために必要な土地であって、その公物性を失っていなかったものと認められる。したがって、仮に増田松太郎が所有の意思をもって占有した事実があったとしても、時効取得することは許されないものであるから、原告らの時効取得の主張は、この点においても、採用することができない。
以上いずれにしても、原告らの請求は理由がないから、これを棄却することとする。
(裁判官 淺生重機)
別紙物件目録 <略>
別紙図面 <略>